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2014年12月アーカイブ

わぁ...(汗)実に久しぶりの日記となります 皆様初めまして(違)

「仏教について⑨」です。

仏教について⑧では、東西南北の城門から出ようとしたシッダールタが、そこで老いた人、病で苦しむ人、死者を運ぶ行列、そして出家僧に出会い、そこでの【四諦】【八正道】の意味を話しましたが、
今回は、ちゃんとその続きです。(笑)

さてさて...
こうして、シッダールタ王子は二十九歳の時、
ヤショーダラ妃と生まれたばかりの子・ラーフラを残して、ある夜ひそかに城から抜け出たのです。
王子の父である浄飯王は、王子が城から出られないように常に城門を兵士に守らせていましたが、この夜に限って、見張りの兵士たちはなぜか眠ってしまっていたのでした。


実はシダールタ王子が城から抜け出すのを、見えない世界から梵天や帝釈天などの天界の神々が助けていたのです。
 梵天とは、ブラフマンとも呼ばれる宇宙を実体化させている神、
 帝釈天とは、インドラ神とも呼ばれ天を収める神です。

これが意味するところは、
 実体のない神々が、実在していた釈尊の物語(伝説)に人格的に出てくるという事は
に見えない世界と見えている世界のつながりに気づかねばならない!ということを間接的に示しているのです。

これはどういうことかと言えば、
 私たちの生きる上で、運命や宿命というもののなかには、何一つ、成り行きや偶然などというものはない!
ということを教えているのです。

運命も宿命も、幸せも不幸も、すべてが存在を成り立たせている法則のなかに生きている、ということです。
つまりこの脱・城、は目に見えない "存在の法則性" を表現しているのです。

人間一人ひとりの、なにげない心の持ち方、ことばの扱い方、行為や行動のあり方が、
 "カルマの法則" をめぐる中で、必然的に運命の中に現象を生んでゆきます。

目に見えない次元との関わりに気づかせるための方便として、人格化された神々が、釈尊の伝説にも、さらには "真理" を伝える経典の中にも、常に登場してくるのです。



私記事→カルマの法則、カルマは業と書き換えられます。「業」って「悪い行いの報い」のイメージがありますが、善悪どちらのことも言います。


城脱出編終わり。
「仏教について」はもちろん続く(  ´  - `)