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2014年1月アーカイブ

芳賀霊苑


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芳賀霊苑へ行ってきました~
葬儀施行を弊社でして下さった方へはご案内もしていましたが、いままであまりあけっぴろげには墓地・墓石の案内はしていませんでしたが...



お位牌もお仏壇も墓地も、人のお話を聞くと、ほかのところは、高っ!Σ(゜□゜)いんですね。。。

ずいうんどう葬祭は墓地・墓石のこともおこなっていました(^○^)
近いうちにHPに載せようと思って、カメラ小僧しに霊苑へ行きました(^u^)


芳賀霊苑、気になる方は是非お問い合わせください^^
勧誘など致しませんし、相談しづらい方は匿名相談もお受けしております^^
0120-194-797


仏教について⑦【続】で東西南北の城門から出ようとしたシッダールタは、そこで老いた人、病で苦しむ人、死者を運ぶ行列、そして出家僧に出会ったのでした。

はいきた伝説ー!
方便を説いた比喩ですね。これは、「生老病死」という、人間の基本的な問題を表現しているのです。

つまり、お釈迦様の説かれる生命の真理は、この「生老病死」が中心となっていて、この「四門出遊」の伝説は、"四諦(したい)" の真理の教えに繋がっているのです。

 「四諦」とは四つの真理のことで、「四聖諦」とも呼ばれ、お釈迦様の教えの、もっとも基本となっているものです。

①苦諦(くたい)の真理 ②集諦(じったい)の真理 ③滅諦(めつたい)の真理 ④道諦(どうたい)の真理
 【諦(たい)】とは、明らかにするという意味です。

まず、①苦諦とは、
"肉体の生存" とは、「苦」を土台とした"霊性" があらわす生命現象である、という真理。

つづいて、②集諦とは、
その「苦」は、肉体に連なった欲望や感情が生み出す"煩悩" からあらわれてくる!という真理。

さらに③滅諦とは、
欲望と感情を制し、犠牲を進化させるところに涅槃(ねはん)の世界があり、そこに至って、すべての「苦」が消滅する、という真理。

そして④道諦とは、
涅槃に到達するためには、八つの正しい道を実践しなければならない、という真理。
(八つの正しい道の実践、それを八正道という)

八正道-------①正見(しょうけん)
      ②正思惟(しょうしゆい)
      ③正語(しょうご)
      ④正業(しょうごう)
      ⑤正命(しょうみょう)
      ⑥正精進(しょうしょうじん)
      ⑦正念(しょうねん)
      ⑧正定(しょうじょう)

①正見
「正見」とは、読んで字のごとく、正しく物事を見る、ということですが、これができそうでいて、できない、もっとも難しい問題です。
なぜなら、私たちは "我" という意識を持っており、この "我" は、ゆがんだ価値観を持ってしまっているからです。
したがって、 "我" の意識から離れた、魂の意識に目覚めて初めて正しく物事が見られるようになります。
「正見」は、八正道の他の七つの条件が満たされるとともに開く "魂の目" なのです。

②正思惟
ひと言でいえば正しい心です。
いやな心の反対のよいよい心です。不満、怒り、ねたみ、嫉妬、むさぼり、等々そうした "邪" の気を起こさないことです。そうした心にとらわれないことです。
自分だけが喜ぼうとする心ではなく、人の喜びを自分の喜びとできる心、それが本ほんとうの正しい心です。

③正語
正しいことば...と言っても、文法での正しいことばではありません。
人に対しておもいやりのあることば、善意に満ちたことばのことです。これは、話すことによって、良いことがふえて、話さないことによって、悪い結果を生まないということです。

④正業
正しい行為のことですが、ウラを返せば、悪いカルマ(業)につながる間違った行いをしないことです。
したがって、よい心や正語とも密接につながっています。

⑤正命
正しい命の "運び" のことです。
それは、肉体生命の管理の問題だけではありません。正しい運命もまた、自分でつくってゆくものなのです。
それは前述した「正思惟」「正語」「正業」によって実現されます。
つまり、こころと、ことばと、行為が正しければ、自然に運命も正しさの方向へ向かいます。

⑥正精進
正しく生きようとする意志を、精神として確立することです。
正精進とは、正しく生きようとする意志を、常にわすれないということなのです。

⑦正念
心の浄化、です。
すべての物、すべての事柄に感謝の念を持つことによって、心は自然に浄化されてゆきます。
つまり、感謝の心です。

⑧正定
瞑想の行です。禅定によって "我" を無にできたとき、生命の奥に眠っていた魂の意識が、自然に目覚めます。
すると、見えない世界から、神秘な力が働きかけ、「理智」という能力が生まれてきます。
その「理智」によって「正見」の目が開くのです。
そして、その「正見」の目に支えられて、 "八正道" の全体がさえらに高いレベルへと進むことができ、やがて "涅槃" と呼ばれる霊的進化への完成へと到達するのです。




 異常が、八正道のおおまかな説明でした(^◇^;)ゞ

【四諦】【八正道】をくわしく説明すると、週刊少年誌分でも足らない感じになるので、書くにあたって心折れそうになるので、あっさりこの位にさせていただきました!(*∀*)



仏教について⑦の続きです。

王子シッダールタが、瞑想している時、彼を包む木陰は時間が経っても傾きませんでした。

 父王・浄飯王は、シッダールタが長い時間、物思にふけるのを案じて、
冬の宮殿、夏の宮殿、さらには雨季の宮殿と、三つもの宮殿を与え、そこで女だけの伎楽をシッダールタに与え、あらゆる贅沢に満ちた生活をさせました。
さらに、シッダールタの "出家" をあきらめさせようと、「ヤショーダラ姫」を王子の妃に迎えました。

 しかし、それでもなおシッダールタの、人生についての悩みは深まるばかりでした。


 あるとき、父王のすすめで、シッダールタは四回にわたって、カピラ城の外へ遊楽に出ることになりました。

 まず、東の城門から出たとき、見るからによぼよぼに衰えた老人に出会いました。
そのあまりのみじめさに心をくもらせた王子は、遊楽の心も消えてカピラ城に引き返したのでした。
 次に南の城門から出かけたときには、今度は病気で苦しんでいる人に出会いました。
 さらに西の城門から出かけたときには、死者を運ぶ行列に出会ったのでした。

 そして四度目の遊楽は、北の城門をくぐりました。そこでシッダールタはひとりの沙門(しゃもん:出家修行者)に出会いました。
シッダールタは、その沙門の確固たる信念を持って生きる姿に、強い感動を覚えたのでした。

 こうして、シッダールタの出家への決意が固まってゆきました。

 これが「四門出遊(しもんしゅつゆう)」と呼ばれている伝説です。




この「四門出遊」。これが、解説しようとするととても長くなってしまうので次回に書きますね^^




国分寺へ行って参りました~

いやぁ‥‥

建築物‥‥

癒し‥‥


DSC01479(1).JPG



(画像が近すぎるのは...へへ(^^)ヾ寺社建築へのMOEゆえです(笑))
驚くほど「仏教について⑥」から間が空いてしまいました...
しかも誕生しかまだ書いてないのに経典や単語についてふれたから、横道逸れた感も...
(というか解説とか飛ばした釈尊の生い立ちなら、「仏教について①」のつづきです^^;)

お待たせしました!(?) 今回は、「天上天下唯我独尊」と言って、七歩歩いたそのあとを書いていきたいと思います!


 脇腹からお生まれになり、七歩歩いた後、普通の赤ちゃんのようになった王子。

 待ちに待ったお世継ぎが誕生して、父・浄飯王(ジョウボンノウ)は大喜び!\(;▽;)/
王子は「シッダールタ」と名づけられました。

シッダールタはパーリ語でシッダッダと読み、「目的を達成した者」という意味になります。

しかし、摩耶(マーヤー)夫人は、王子を生んだ七日後に産褥熱のために、この世を去ってしまわれたのです。
 残された王子は摩耶夫人の妹のマハー・ブラジャーパティが母親代わりとなって育てられるのでした。

 浄飯王は、王子の未来の運命を占ってもらおうと、ヒマラヤ山中からアシタ仙人という聖仙を招きました。
アシタ仙人の予言では--------

「 この王子は、王位を継げばかならずや全世界を治める転輪聖王となられます。
 また、出家すれば全人類を救う「仏陀(ブッダ)」となられるでしょう 」

そこで浄飯王は思います。
( う~む。わしとしては、なんとしてもシッダールタに王位を継がせて全世界を治める王になってほしい‥‥‥)

 ということで、シッダールタは文武両道を学びますが、そのすべてにおいて、並はずれて優れていたと言われています。
7歳のときには、すでに師の教えることは何もなくなるほどの知識を持ち、さらに成長して武道の方でも武術の大会で優勝したという話も伝えられています。

 さて、シッダールタ王子12才の春のことです。
ある日、神に五穀豊穣を祈る鍬(くわ)入れの式がありました。王が大地に鍬を打ち込み、そのあとを牛が鋤(すき)を引いて田を耕していく行事です。 
シッダールタも王に連れられてその行事に出かけたのですが......、

 掘り起こされた土の中から小さな虫が這いだしました。その虫を飛んできた一羽の小鳥がついばみました。ところが、そこへさらに、もう一羽の猛禽が襲いかかり、あっというまに小鳥に爪をかけ飛び去っていったのです。

 その弱肉強食の世界を目の当たりにしたシッダールタは深く物思い沈み、近くの林の木の下に行き、そこに座していつまでも瞑想し続けていました。

その間に太陽は、東から西へと移動し続け、すべての木々の影もそれにつれて動いていくのですが、不思議なことに、シッダールタが瞑想を続けている木の影だけは、少しも動くことなく、木陰をシッダールタの上に落としていたということです。

 太陽は傾くのに王子のいる木の影は動かない‥‥。この伝説も、方便としての意味を表現していると云います。
〈やがて、未来に、お釈迦様はボダイ樹の下で瞑想によってすべての真理を悟られることになります。
その真理とは、世の中がどのように変化しようとも、過去、現在、未来を通して、絶対不変の真理です〉
瞑想するシッダールタと、それを包んで動かない木の影、という表現で、あらわされているのです。



つづくよ長いもの!(゜■」゜)