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2013年8月アーカイブ

 先日 岡山大学農学部教授より、エジプト留学生の子供(13歳)が亡くなったと電話ありました。

葬儀の打ち合わせ、まず英語で自己紹介。依頼主のME様は、「初めて自分の英語が理解されて嬉しく思います」と言われました。

(私事ですが、30年以上前に、イラン国アバダン市アラブ首長国連邦アジマンに3年半程住んでいました)

午前9時ごろ、打ち合わせは本題に入り、「岡山県内のどこかで土葬できる所は、ないでしょうか?」と言われ、私は岡山イスラミックセンター会員(多国籍の人達の集まり)と話し合い、三重県C寺領に葬る事にしました。

 

 病院での臨終後は、看護師に手伝わさせず、留学生とイスラミックセンターの仲間で、白包帯を足の先より頭のてっぺんまでぐるぐる巻きに、まるでミイラのように仕上げ、選んで頂いた2通りの内、良いほうのお棺に入れ、霊安室の冷蔵庫にお柩ごと安置。

 真夜中1時半頃、三重県C寺に向けて出発しました。

 到着後、朝9時半より20人程で穴掘り開始。 午後になっても、まだ掘り切れず、「あと2時間くらいだ」との事でしたが、彼らは続けて作業する事に慣れていないので、30分毎に交代で穴掘りしました。

作業を確認に行くと「もう少し深く掘らないと野良犬などに食べられてしまう、もう少し深く掘ってください」とME様。

  夕方近くになってようやく掘り終わり、寝台車からお柩をおろし、男性8人でお柩を両手で高くかかげ山頂まで運びました。  お柩の前後の両端をロープで支え、ゆっくりとお柩を地中におろし、他の人達は、イスラム教の経典を大きな声で読誦しながら両手を上げ、膝を曲げ伏せる形でお祈りをし、皆で土をかけて埋葬を完了しました。

 

そして最後に請求書を見せフルネームのサインを頂き、後日エジプト日本大使館へ請求しました。

 

 

 病院でドライアイスを使用しない故人の処置、ご遺体をお柩の中で動かないように固定した事、搬送中、車内でイスラム教典を声をあげて読んだ事、長距離移動の小休憩の時間に仏教について色々な質問をされた事、土葬は初めてのことで、あんなに深く土を掘るのかと、また三重県のC寺は、よく埋葬許可された、と感慨深い出来事でした。

(因みにこのお寺は、有名な武将のお墓も有る大きなお寺でした)

 

 初めておこなった「イスラム教の土葬」に思う事は、

世界の人々は、様々な考え方や慣習を持っていて、普段 私達の生活では驚くような事が当たり前のように行われているのだなあ。と感じたエキサイティングな1日でした。  

 

 例年の8月は、亡くなられる方が少ないそうなのですが、今年のお盆月はそうではないみたい。

 お盆と言えば、ご先祖様が帰ってこられる時期ですが、ご先祖様優先で通り道を使うから、

 こちらからその通り道を使うのはちょっと待ってね。という風なのかな、と思ってました。(この考えは原の想像にすぎません)

 人は亡くなると、死後の世界では、"死後の世界に生まれる"という考え方で戒名が付けられるそうなのですが(戒名とは、昔、出家して仏門に入って僧になった者に与えられる名前だったのが元)、死後の世界の年功序列...つまり亡くなりたて・生きていた人、より、亡くなって日が浅くない魂の方が道が優先されるのかなと思っていました。

 

 ここ数年で、死者を送る形(葬儀形態)が激変して、簡素に・親族は楽になったお見送りが、亡くなられた方の霊魂を、気軽にしてしまったのかな、と思いました。

 ここも山間の田舎ですが、葬儀形態激変の波は波及しています。もっと葬儀に重きを置くところでは、お盆に亡くなられる方は少ないんじゃ、と思いましたよ。

(本当に原個人がなんとなく想像したことに過ぎないので数は計っていません)

 

此岸(しがん⇔彼岸)のことは、此岸だけの事じゃなくて彼岸にも繋がっているかもしれないですね

 

 時代なのかなぁ~と感じました(゜.゜)

 

 

 

 

 

毎日蒸し暑いですね。皆様体調崩されていませんか?

今日の投稿は少年時代を思い出しつつ書いています^^2013-08-05-11-23-35_deco (2).JPG

 

 

カッコイイ!!

カブト虫ですよっ!(≧∀≦)

こんな立派な角のイケメン。昨日保護。

保護した時はほとんど動かなくて心配でしたが...

砂糖水なめて元気に動き回ってました♪